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闘竜灘(加東市)

      2016/01/29

激流と奇岩の織りなす絶景。
加東市西部を流れる加古川の名勝地のひとつ「闘龍灘」は、兵庫県下最大の流域面積を誇る一級河川加古川の中間に位置し、川床いっぱいに広がる奇岩、怪石が加古川の奔流を阻み荒々しい水音ともに水しぶきをあげる様は、まさに景勝地にふさわしい光景です。
「闘龍灘」の由来は、江戸時代末期に遡ります。かつてこの場所を訪れた幕末の詩人梁川星巖(やながわせいがん)によって、その岩と岩の間を縫う様に水が流れるさまを巨大な龍の躍動に例えたところから名づけられました。
古来より加古川水系は水運路に利用され、流域の街は時代とともに発展していきます。 1594年(文禄3年)豊臣秀吉が天下人として世の中を治めていた時代。
滝野の大庄屋、阿江与助(あこうよすけ)ら三人が豊臣秀吉の奉行生駒玄蕃(いこまげんば)の命を受け、舟運路を完成させたことに始まります。
以来、闘龍灘は上流と下流の中継地点として、鉄道が普及する大正時代まで物流幹線を担う地域経済の要衝として地域一帯は栄えました。
現在は、兵庫県下有数の観光地としてまた、飛び鮎の 名所として、毎年 5月1日には、全国で最も早い鮎漁解禁の地として今に至ります。

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